思考の補助線

徒然なるままに、思ったことを書き留めます。

ノンフィクションを"フィクション化"する「さよならソルシエ」

毎週出会った「アイデアの種」トップ3を、

自分なりに深堀りして書き留めます。

 

一気にまとめてしまうと長くて読みづらいので

(そして更新頻度が落ちるので...)

それぞれ分けて、アップしていこうと思います。

 

 

今週の第3位は、

さよならソルシエです。

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※以後、ネタバレになりますのでご注意ください

 

この漫画のストーリーは、

歴史的な画家として知られる「ゴッホ」を題材にした

ある種の"パロディ"のようなもの。

 

天才画家だが自らの絵を広めようともしない兄ゴッホと、

天才画商だが絵の才能はない弟ゴッホ

 

天才でありながらも平凡な毎日しか送れない兄を見かね、

弟は苛立ち、嫉妬しながらも、その絵の才能に惚れ込み続ける。

そうして様々な葛藤を乗り越えながら、

ついに弟は兄の展覧会までこぎつけた矢先、兄は強盗に殺されてしまう。

 

波瀾万丈のドラマもなく死んでしまった"ふつうの人間"の絵が、天才の兄の絵が、

後世にまで語り継がれるはずがない。

 

そう考えた弟は、戯曲家に依頼して、兄の人生を

狂気と孤独の中でもがき続けた"フィクションの人生"へと書き換える。

 

街に出てきた兄を、ずっと田舎で暮らし続けていたことに。

兄弟の葛藤で吹き飛ばした耳を、ゴーギャンとの共同生活で切断したことに。

そして、兄を慕い続けてきた弟を、悲劇の人にーーーー。

 

 

ゴッホには兄弟がいる」「片耳がない」

といった歴史的事実をベースにつくりあげられた、フィクションの物語。

 

いや、でも。

 

僕らが知っているゴッホの本当の人生は、果たして本当だったのか?

誰かが都合の良いように書き換えたのではなのか?

本当の真実とは、一体なんなのか?

 

そんな問いかけを投げかけずにはいられなくなるような、

魅力的な物語の展開だと感じました。

 

 

この「自分が信じてやまない◯◯が、実は△△だった!?」を意図的につくりだす、

ノンフィクションを"フィクション化"するという方法論。

かなりの吸引力があるように思います。

 

例えば、簡単に思いつくだけでも、

ダビンチ・コード

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ノンフィクションたる歴史に違う解釈を加え、

本当の真実を追うフィクションの物語でした。

 

 

また、ある意味では

涼宮ハルヒの憂鬱などの漫画や映画もそうかもしれません。

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近ごろ、アニメの「聖地巡礼」を通じた街の観光活性化をよく見かけます。

聖地巡礼とはつまり、そのアニメが現実に存在する街を舞台に製作されたということ。

 

しかし当然、その街でハルヒたちは過ごしていませんから、

そうした意味ではノンフィクション(=街)をフィクション化していると思います。

 

 

ここで重要なのは、

"フィクションがフィクションではないかもしれない

  ノンフィクションな証拠を残す"

ということだと思います。

 

さよならソルシエについてはちょっとわかりませんが、

 

ダビンチ・コードでは、モナリザの絵をはじめ、

ルーブル前のピラミッドや各地域に配置された礼拝堂から

「もしかしたらダビンチ・コードの話(フィクション)は本当...?」と疑えるような、

現時代にも残る証拠が存在する。

 

アニメに関しても、実在する聖地が今なお存在することで、

「この場所が本当に存在するなら、アニメの物語だって本当にあったかもしれない」

と思わせるような不思議な感覚が芽生えます。

 

※ 「リアルに証拠が残っている」というのが、

   この現代における重要なキーワードだと思っています。

   ただのフィクションよりもノンフィクションが強い時代だからこそ、

  「フィクションなのにノンフィクションらしさを残す」ことができたら、強い。

 

 

つまり、逆算して考えれば、

「歴史後いまも残る不自然な点と点を結び、架空の物語をつくる」

「とある街にある落書きや穴ぼこを、架空の物語で描いた/空けたことにする」

といったフィクションのつくりかたをすることで、

効果的に人を惹き付けるフィクションをつくることが可能かもしれません。

 

言うは易し、ではありますが...

引き続きアンテナを張りたいアイデアの方法論だと思っています。