思考の補助線

徒然なるままに、思ったことを書き留めます。

漫画「GIANT KILLING」に学ぶ、応援のあるべき姿。そしてそれがもたらすもの。

社会人になってからひとりの時間をよく持て余すようになり、

中でも漫画喫茶には足繁く通うようになったのですが、

 

最近読んだ名作漫画で深い学びを得たのが、

GIANT KILLINGで描かれるサポーターの在り方についてです。

 

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かつてはスーパープレイヤーとして活躍した主人公・達海猛が、

怪我を機にクラブ監督に転身。

 

彼が狙うのは、誰も期待しない弱小クラブが強豪を打ち負かす

ジャイアント・キリング」。

 

かつて達海が所属し、いまではすっかり弱小化した

日本のクラブ「EAST TOKYO UNITED(ETU)」を建て直すために

旧友の説得で監督としてチームに舞い戻るのだが...

 

 

サッカー監督を主人公にする、という難しい切り口ですが、

現在30巻でなお物語は進行中。

サッカーファンからビジネスマンまで幅広い人気を獲得し、

通称”ジャイキリ”の名称で親しまれている名作漫画です。

(僕が紹介するまでもないですが...)

 

 

この漫画、主に達海のチームマネジメントに焦点を当てた

数多くの名言が注目されていますが、

僕はちょっと違う観点で、素晴らしい学びを得たと思っています。

 

それは、この漫画の主人公が選手ではないからこそ焦点が当てられている、

サポーターたちの想い、葛藤、そして応援のあるべき姿勢についてです。

 

 

達海が昔、選手として活躍していた頃だけ応援し、最近になってまた戻ってきた、おじさんサポーター。

達海が抜けた後も、低迷するクラブを支え続けた、血気盛んな若手サポーター。

達海が戻ってきた後の、快進撃を続けるクラブしか知らない、子どもサポーター。

 

この漫画ではこれら3つのサポーターの"派閥"が存在するのですが、

 それぞれの派閥の色々な想いがぶつかり合い、葛藤が生まれながらも

やがてひとつの大きなグループとして選手を支える存在になっていく様は

 

とても読み応えがあり、それと同時に考えさせられるものでもあります。

 

 

その中でも、グッと心を掴まれたのは

若手サポーターのリーダー・羽田がETUのサポーターになることを決心づけた、

「応援するってどういうことなのか」がスタンドのサポーターから語られるシーン。

 

 

 

羽田はもともと優等生でしたが、

父の家出や母の深酒などから高校を中退してしまい、やりがいを失う日々。

そんな中、ひょんなことからETUのスタジアムへ足を運びます。

 

そこで目にしたのは、

スタジアムの大声援、そしてその中心で躍動するプレイヤー達海の姿。

もやもやする日々の中で、もう随分と忘れていた「スカッとした」気分を味わう。

 

それをきっかけに、また気が晴れることを求めて次の試合にいくと、

殺伐としたヤジばかりがとぶスタジアムの雰囲気。

何かが違う、と感じたその原因は、

達海がチームを脱退してヨーロッパ移籍をしてしまったからでした。

 

ファンタジスタを失い、面白味に欠けるプレーを続ける選手へのブーイング。

スター選手目当てで来たミーハーなサポーターたちが、それに拍車をかける。

 

そんな中で、たまたま出会ったスタンドのサポーターから語られるのが、

以下のシーンでした。

 

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サポーターのコールリーダーもいなくなって

おかしな連中が選手に野次を飛ばし始めた。 

 

たまんねぇのは選手の方だってのによ。

 

達海に出て行かれて

残された選手達はなんとか立て直そうと頑張ってんのに

客席からブーイングまで飛ばされてたらやってられない。

 

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俺達ドクロ団は決して選手を否定しない。

選手の背中を押すため応援をする。

 

目立たなくてもチームのためのプレーをしている選手には拍手を送る。

動きの悪い選手にはブーイングではなく頑張れと叫ぶ。

 

それが選手に届くかはわからない。

俺達の自己満足なのかもしんねーよ。

 

けどな

応援されて嬉しくない人間なんていないだろ。

 

 

そんな言葉の数々に、ハッとする羽田。

 

聞けば目の前のサポーター達は、単なる娯楽で応援しているのかと思えば、

みな辛い日々の中でもがいている自分と同じような境遇の人たちばかり。

 

そして、羽田は思い出します。

こんな自分でも、最後まで応援し続けてくれた担任の先生がいたことを。

その人の励ましがなければ、しんどい時期を乗り越えられなかったであろうことを。

 

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この経験を機に、羽田はサポーターの団長へと成長していきます。

 

 

この一連のエピソードから学ぶことは色々とあったのですが、

何よりも一番は、サポーターとしての応援のあるべき姿勢でした。

 

「野次ではなく、励ましを送る」。

読んだとき、感動するとともに、どこか恥ずかしい気持ちにもなりました。

 

それはきっと、常日頃スポーツ観戦をしている中で、

僕も調子の悪い選手にはつい野次を飛ばしてしまっている、

ということに気がついたからです。

 

 

野次そのものが悪い、という話ではないと思います。問題は、その質です。

 

選手には期待しているし、だからこそ野次は期待の裏返しだし、

そういった意味ではある種の励ましにもなると思います。

 

しかし、そういうわけでもなく、

ただ文句を垂らし、自己満足的に悪口を言うだけ言う、そういう野次もある。

で、結果を出したら、ケロッと見直す。感動する。感謝を押し付ける。

 

 

本当に恥ずかしながら、僕にもそういうときがある。

いや、白状すると、そういうときの方が圧倒的に多いです。

 

そしてそれは、多くの人、このブログをご覧頂いているあなたにも、

実はどこか当てはまる部分はあるのではないでしょうか。

 

 

日本代表のサッカー観戦をしているとき。

ソチオリンピックの生放送を見ながら応援していたとき。

 

使えないからさっさと交代しろ、などと言ってなかったか?

大舞台では結果が出せないから期待できない、などと言っていなかったか?

ぶつける言葉の全ては、選手の力を最大限に引き出していたか?

自己満足の応援ではなく、選手の力になる応援になっていたか?

感動の「ありがとう」は、選手のためか?それとも自分のためか?

 

 

以前、乙武さんがブログで書かれてましたが

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「感動をありがとう」と胸を熱くしたみなさんへ

http://blogos.com/article/80963/

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忘れてはならないと思う。今日、僕らが得た感動は、彼女たちが犠牲にしてきた多くのものに支えられているのだということを。僕らはそんな事実を忘れ、しばらくすると、また次の感動に飛びつく。そんな「感動のいいところどり」を繰り返してきた。

 

 感動の準備段階では、「好きでやっているんでしょ」。でも、いざ感動の場面になると、「感動をありがとう」。僕らはたいした対価を払うことなく、ただ感動だけを享受してきた。あえて強い言葉を使うならば、競技者から感動を“搾取”してきた。いつも日本中を駆け巡る「感動をありがとう」の言葉は、選手たちの心の支えになっても、生活の支えにはならないのだ。

 

競技者から感動を“搾取”してきた、という表現は、

 

言われる側にとっては耳も傾けたくないほど強すぎる言葉なので

聞いてほしいのであれば個人的には違う表現の方が適切かなとは思いますが...

(そういう議論も含めて注目を浴びせたい、という意図なのだと思いますが。)

 

 

ある意味で、そういう見方もあるのかもしれません。

 

ただ、どういうスタンスで選手を応援するにせよ、

世間の注目を集め、メディアを集め、スポンサーを集め、競技人口を増やし、

いずれは観客動員を増やしていくのだとすると、

どんな関わり方でも多少の生活の支えにはなるのかもしれません。

 

 

何も、自分が気持ち良くなるための応援がダメだ、

ということではないと僕は思います。

 

ただ、「サポーター」と「それ以外」の違いは、

選手に対する真摯さ、そこに宿る精神性には、如実に現われるのだろうな、

とも思います。

 

サポーターとは、文字通り「支える人たち」。

真の意味で選手のためを想い、選手を励ますことのできる人たち。

それはとても人として魅力的な在り方で、かっこいいと思う。

 

だから、もしたくさんの人がそういう気持ちで応援することができたら、

もっとこの国のスポーツは変わるだろうな、と思いました。

もっとこの国は面白くなるだろうな、と思いました。

もっとこの国にかっこいい人が増えるだろうな、と思いました。

 

 

 

そして、もう一点。

 

漫画でも描かれている通り、

選手のためになりたくて真摯に応援するサポーターたちをみて、

羽田はこれまで、自分が応援されてここまでこれたということを思い出す。

 

きっと誰にでもあるような、けれど誰一人として同じ経験はしていないような、

個人的な過去を思い出し、応援の持つちからを腹の底から信じるシーン。

とても普遍的で、共感性の高い場面だと思います。

 

 

そして、選手を応援する。

選手を励ましながら、一生懸命な選手を見て、思わず涙する。

応援しているようで、実は自分が応援されているのだと、心が気づく。

 

応援という行為がもたらすものの大きさ、尊さを、あらためて思わされます。

 

 

僕らはいつも、どこか一生懸命になれずにいる。

辛いから。面倒くさいから。恐いから。

どうせ報われないから。届かないから。笑われるから。

 

でも、だからこそ、

それらを全てハネのけて一生懸命になれる人をみると

尊敬してしまう。励ましたくなる。夢を託したくなる。

 

甲子園やモモクロが(いまでも)人気なのは、

いまのそういう時代背景もあると思います。

 

 

だから、

 

カロリーメートのCMで唱われる「ファイト」


60s 満島ひかり CM カロリーメイト ファイト 「とどけ、熱量。」篇 - YouTube

ファイト 戦う君の歌を

戦わない奴が笑うだろう

 

読売新聞のCM「僕の走れなかった道」


感動 CM 【僕の走れなかった道】 - YouTube

走れ 走れ

僕が行けなかった道を

 

僕たちが声援を送っているのは

僕たち自身なのかもしれない

 

これらのCMも、心を打つのではないでしょうか。

 

 

 

最後は、少し話が逸れました。

とにかく、一生懸命、相手を想って応援することは素晴らしいと思います。

 

この漫画がもっと多くの人に読まれることで、Jリーグをはじめ

色々なスポーツチームが活性化して、街に住む人の楽しみも増えたらいいのに、

とも思いますが、そこまでうまくはいかないのでしょうか。

 

いずれにしても、GIANT KILLINGは名作だなぁ。。

最新刊30巻は3回読み直しましたが、全部泣きました。笑