思考の補助線

徒然なるままに、思ったことを書き留めます。

「絶対的な着眼点を強制的に掛け合わせる」という切り口 - まばたきの葉

今回は、とても好きなアーティストの作品を。

 

鈴木康広さんが制作された、「まばたきの葉」です。 

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まばたきの葉

開いた目と閉じた目が描かれた紙の葉が空中で回転し、「まばたき」を しながら空間に降り注ぎます。白い円筒の中にはファンが入っていて常に空気を吹き上げています。 来場者は拾った葉を自由に入れて空間に無数の「まばたき」を落葉させることができます。円筒を幹に見立てると空間に降り注ぐ葉を含めた全体が「木」を描き出しているように見えます。 

ー http://www.digital-public-art.org/research/research.php?pg=mabataki

 

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僕は実際に現代美術館や六本木アートナイトでも体験しましたが、

いやぁ、本当に素晴らしいインタラクティブアートだと思います。

 

葉っぱが落下する際の、「くるくると回りながら落ちる」現象への着目と、

それを葉っぱの「表と裏の高速自動切り替え」と解釈する発想力。

そこに、まばたきの「開く・閉じる」行為を重ね合わせる独創性。

 

無数の「まばたきの葉」を空高く打ち上げる、あまりにも単純な装置。

頭上いっぱいに広がる目が、予測不能な「ゆらぎ」を持って見つめてくることの

ある種の気持ち悪さ。圧倒的な非日常空間。そこに生まれる感動。

床一杯に広がるまばたきの葉を集めて装置に突っ込むたびに歓声が起こるので、

それが病み付きとなって何度でもやってしまう、能動的な参加インセンティブの設計。 

 

 

どこを切り取っても、本当に素晴らしいと思います。

無駄がなく、複雑でないから、どこにも説明書がなくても

子どもたちが喜んで近づき、夢中になって何度でも遊んでしまいます。

 

こうしたプロダクトに再現性を見出し、

自分も同じようなものを作ろうと思ってもまず難しいと思いますが...

 

 

鈴木康広さんがなぜこれを考案できたのか、を考えたとき、

そこには彼の信念ともいえる「まばたき」への愛着、執念があるように思います。

 

鈴木康広さんはあるインタビューで、以下のように語っていました。

僕にとって「見る」ということが基本にあって、アーティストの入門編ですが、見えること自体を疑い始めた。いままでさまざまな分野の人によって「見る」ことについて概念的に語られてきましたが、僕も自分なりに体験的に突きとめたかったんです。そのときに「まばたき」って面白いなって思って。自分はすべてを見ていないし、見えていない。ある種の限界もそこで感じたし、逆にそのリミットがポジティブに感じられたんです。実はほとんど見逃してしまっているなんて、逆におもしろいと。 

http://www.tokyo-source.com/interview.php?ts=62&p=2

 

鈴木康広さんは実際、「まばたき」をコンセプトにした様々なプロダクトを

「まばたきの葉」以前に、いくつも送り出しているそうです。

 

頭には常に、「まばたきと何か関連づけられないか」という意識がある。

葉っぱがくるくると落ちる様を見たときも、

まばたきに見立てることはできないかと無意識的に考えてしまう。

 

ある意味強引に、強制的に考えを掛け合わせているからこそ

「まばたきの葉」は生まれたのだと思います。

 

 

これらのことを鑑みたとき、重要なのは、

「これを掛け合わせれば絶対面白いものができる」と心底思えるような、

絶対的な切り口、着眼点を自分の中に蓄えているか。

 

これは決して、

「アートにしたら面白い!」「社会貢献を掛け合わせたら面白い!」

といった漠然なものではなく、もっと具体的で現象的なものなのだと思います。

 

 

「それ」が、あるか。

「それ」を、見つけられているか。

「それ」に、こだわっているか。

 

「それ」がある人は、世界をみつめるまなざし自体が変わってきます。

 

簡単な話でいえば、誰かを好きになったときもそうですよね。

たくさんの人でごった返す駅構内であっても、真っ先にその人を見つけてしまう。

他の誰かに優しくされたときにも、その人だったら...と思ってしまう。

 

世界の捉え方が、とても創造的に、クリエーティブになります。

 

 

なので、結論としては、

自分が絶対的に面白い!と信じる着眼点を蓄えているか。

見つめるすべてに、それを、強制的に掛け合わせてしまうか。

そこが出発点なのだと思います。

 

そして、そこから、

誰もが見たことのない、誰もが驚いてしまう、

圧倒的な独創性のあるアイデアが生まれるのかもしれません。

 

 

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●戦略的Point

・自分の好きなもの、いいと信じるものを見つけ、その要素を捉える

・絶対的な要素/着眼点は抽象的なものではなく、より具体的に、

 ある物体(名詞)の現象(動詞)を伴って理解する

 

●発想的Point

・見るものすべてに、自らの着眼点を重ね合わせる

・「見立て」、つまり似たような現象、共通点を他のものから見出す

 

インサイト的Point

・自らの絶対的な着眼点が、人の心を動かすものであることが大事

 =人が思わず見つめてしまうものか?

 =人が無意識的・生理的に畏れや好奇心を抱くものか?

 =人が考えるよりも早く感じ取ってしまうものか?

 

●表現的Point

・無駄を削ぎ落とし、複雑でない、シンプルなものに仕上げる

・何も知らない子どもであっても理解し、やりたくなるような仕組みを採用する

・一度だけでなく、何度でもやりたくなるような相互作用をもたせる

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