思考の補助線

徒然なるままに、思ったことを書き留めます。

種も仕掛けも明かすことで、”想像させて、裏切り、超えていく”強さ「10番目の感傷(点・線・面)」

トレンドに関係なく、自分の好きなアイデアを考察して

普遍性を帯びた「面白さ」の抽出を試みるこのブログ。

 

今回は、2010年のメディア芸術祭でアート部門の優秀賞にも選ばれている

クワクボリョウタさんの

「The Tenth Sentiment /10番目の感傷(点・線・面)」

を取り上げたいと思います。

 

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The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面) - YouTube

 

真っ暗な部屋には

ミニチュアの小人や箱、洗濯バサミや料理に使う編みのボウルなどが

無造作に置かれている。

 

その中を、小さな灯りをこうこうと照らす汽車が

どこか寂しげに走り抜けていきます。

 

すると

部屋に置かれた小人や洗濯バサミなどが

汽車の灯りに照らされて

 

ミニチュアを見ただけでは全く想像できなかった、

まるで異世界ともいうべき、時が止まってしまったかのような

不思議な風景が壁いっぱいに影として映し出されていく作品。

 

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ぜひ、動画で最後まで観ていただきたいなと思います。

 

まるで、宮沢賢治銀河鉄道に乗り込んでしまったかのような世界。

最初は「なるほど、そういう仕組みね!」と驚くものの

 

静寂の中、カタンカタンと鳴り響く汽車の音

次々に映しだされていく異世界の風景

 

それらに目も耳も奪われて没頭していくうちに

まるで自分が汽車に乗って別の世界に来てしまったかのような

それでいて幼い頃に一度来たことがあるような

そんな不思議な錯覚に陥ってしまいます。

 

そして終盤、その世界は突如、崩れ去る。

 

汽車が急速に来た道を戻る様は

汽車のけたたましい音と相まって

まるで世界が狂ってしまったかのような感覚を覚えます。

 

急に突き放されて現実へ戻ることを余儀なくされ

幻想的な時間は終わりだと告げられながらも

巻き戻されていく時間、風景から、目を離せない。

 

ファンタジックで、どこかノスタルジックでもあるこの作品は

人間の何か大切な感情を根こそぎ揺さぶってしまうような

そんな強い力があるように思います。

 

 

ここで終わってしまうと学びがないので、もう少し。

なぜ、この作品に感情が揺さぶられてしまうのか。

 

 

まず、見逃せない点として、

「影」は、ある意味で”実物を超える存在感”を持ちうる

ということが挙げられると思います。

 

どういうことか。 

 

人は何かの影を見かけると、

影を生み出している実体はなんなのか、想像を膨らまします。

 

影の姿かたちを見て、ワクワクすることもあれば、

それが、自分に危険が及ばないものか、

安心して、気を許してしまってよいものなのか、

悪い方向に想像を膨らましてしまうこともある。

 

後者の場合、それは

自分の身を守るための生存本能に近しいでしょう。

 

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これは、

人が闇を恐れ、光を生み出し

結果、光により闇をさらに濃くしてしまった頃からの

遺伝子レベルで染み付いている感性、習性なのだと思いますが

 

”黒”という色、”存在を映し出す”という鏡的な特性も相まってか、

人は影を見ると、影を生み出す実物がなんなのか、

強く想像力を巡らしてしまう。頭の中を占拠されてしまう。

そして、あらぬ方向へと妄想を働かせてしまう。

 

そういった意味では、想像力を働かせる必要のない実物よりも、

ある意味で、影の方が”存在感”が際立つように思います。

 

 

この作品では、時が止まった不思議な情景が

影となって次々と壁いっぱいに浮かび上がる。

 

その、見る人の想像力を掻き立てる存在感の連打に

感情が揺さぶられ、その世界に没入していってしまう。

そこには、ある種の強力なインタラクティブ性を感じます。

 

 

そして、もうひとつ、

この作品の最も面白いと感じるところは

種も仕掛けも見えるのに、影によって”想像を超えてしまう”

ところにあると思います。

 

僕も実際にメディア芸術祭でこの作品を体験しましたが

部屋の中央に置かれた小人の模型や色鉛筆、洗濯バサミ、ボウルなどをみて

「だいたいこんな影ができるだろう」と、

影が映し出される前に勝手に想像してしまいます。

 

しかし、実際に壁全体を包み込むように投影される

ダイナミックな影の世界は、

そんな自分の浅はかな想像を、安々と上回ってしまう。

 

 

僕は常々、人が感動したり興奮したりするのは

「その人の頭の中(想像)よりも、面白いことが起こってしまったとき」

だと思っているのですが

 

つまり、

この作品はあえて種も仕掛けも明かすことで

「こんなものだろう」というチープな想像を体験者にさせてから

幽玄な影の世界によって、その想像を上回ってしまうことに成功している。

 

それさえも、計算のうちかも...と思うと、

ますますこの作品への畏敬の念は深まります。

 

 

同様の発想でつくられているものとして、

他にもJIM SANBORN氏が手がけたパブリックアートがありますね。

 

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うーん、素晴らしい。

 

こういうものがいつか創れるように、

追いかけていきたいものです。