思考の補助線

徒然なるままに、思ったことを書き留めます。

書かざるをえない思考について

 

毎年この時期になると、実家に帰省して

地元のカフェでぼんやり1年間を振り返ることにしている。

自分の中で、もっとも大切にしているリズムのひとつ。

 

今年はなんだか無性に、文章にして残したくなったので

とりとめもない思考の断片たちをまとめてみようと思い立ちました。

 

(何ヶ月後か、何年後かの、自分のためのメモです。)

 

 

 

ではいきなりですが

 

今年の一年を漢字一文字で表現して下さい。

 

 

 

実際、そんな質問を誰かにされたわけではないのだけど。

 

でも脳内では、薄ら笑いを浮かべたピエロが

華やかなステージからマイクをこちらに差し出すから

 

12月のある日から、考えざるを得なくて。

 

 

そうして行き着いた文字は、どうやら、

 

 

「諦」

 

 

らしかった。「諦」める。

 

 

その周りには、

 

「失」う、「挫」く、「嫌」う

 

そんな漢字も漂っている。

 

 

 

そう、僕は今年の3月に、諦めた。

 

夢を叶えるのを、諦めたのだった。

少なくとも、20代のうちは。

 

 

 

それまでの僕はといえば

 

大学時代は、夢に向かってまっすぐ生きていた。

そして、不格好な試行錯誤の先に、いま働く会社を見た。

 

そこに飛び込んで、とにかく何でも頑張り続けた。

そうすることが、夢を叶えることにきっとつながると

信じて疑わなかったから。

 

 

でも

 

 

働き続ける中で。歳を重ねていく中で。

 

夢と、仕事の。

理想と、現実の。

 

距離が縮んでいく感覚がない、

ということがずっと不安だった。

 

いま思えば、あたりまえのことだった。

縮めるための努力を、何もしていなかったのだから。

 

そんなことにも気づかぬまま

あるいは見て見ぬふりをしながら

盲目的に仕事に没頭する僕は

いつも焦っていて。どこか余裕がなくて。

(それは今も変わらないのだけど…)

 

それでも

 

夢は夢で、頭の中に居座って

叶えてよとプレッシャーをかけてきて

 

仕事は仕事で、上には上がいて

その差の縮め方がわからないから

 

いまはまだ、夢の途中だから。

腰を落ち着かせるのは、ここじゃないから。

 

いつの間にか、そんな言い訳を並べながら

自分を保つような格好悪いオトナになっていた。

 

 

そしてさらに厄介だったのが

 

僕はどうやら、僕の若い未来に期待しているらしい

 

ということだった。

 

 

世間を賑わすほどに活躍する人はみな

20代のうちに芽を出して夢を生きている。

 

そんなイメージが、なぜか自分にはあって。

そしてさらになぜか、自分もその一員になれるはずだ、と

心のどこかで思ってしまっていたらしくて。

 

その感覚が、さらに僕の

焦りと余裕のなさに拍車をかけていった。

 

 

幼い自分の夢に縛られていた。

 

きっとすごく、不自由だった。

 

 

 

そこから抜け出すには、どうすればいいのだろう。

 

ちょっと、立ち止まってみた。

それが今年の年始から3月にかけてのこと。

 

 

足りない頭で、考えて、考えて。

 

 

そして行き着いたのが、なんてことはない、

「きちんと諦める」という答えだった。 

 

 

しかるべき努力を積み重ねていない人間が

誰もなし得ていない夢を、しかも20代で、

叶えるにはどうやったって無理がある。

 

だから、夢の賞味期限を、20代から40代まで

ぐっと先延ばしにしたのでした。

 

 

そして、夢を目標に変えよう、なんてよく言うけど

目標を掲げたからって、それが達成できるわけもなく。

 

ほんとうに大切なのは、

夢という目標を、計画に変えること。

 

いつまでに何をすれば、その夢は達成できそうなのか。

 

自分なりの仮説や根拠に基づきながら

20代までに何をして。30代には何をして。

段階的に積み重ねるべきものを整理すること。

 

踏まえて、

いま何をすべきかを把握すること。

 

常に試行錯誤すること。たくさん間違うこと。

失敗は全部、やってみたっていう成功のあだ名だから。

 

ときに目移りしてみること。寄り道すること。

未来はきっと、一直線じゃないから。

 

 

そんな整理ができたからこそ、

ずっと胸につっかえていた焦りはとれたのだけど。

 

 

 

そこからが、長くて苦しかった。特にここ3ヶ月。

 

実はこの先が、書き記しておきたかったことなのだけど…

(前半が無駄に長い。悪い癖です。)

 

 

前半書いたような偉そうなことを

大切に胸に秘めていたはずなのに

 

自分の決意とは儚いもので

仕事とは怖いもので

 

特にここ3ヶ月、自分の夢がどうだの、

なんてことは綺麗サッパリ吹きとぶくらい、

ただただ、仕事だけの日々を過ごした。

 

仕事は仕事で、純粋に楽しめていたはずなのに、

それが苦しいと思えるほどに忙殺されていた。

 

単純な話、僕の狭いキャパシティー

物量が明らかに超えてしまっていたのだった。

 

 

決意新たにしたはずなのに、

なぜそんなことになるまで?

 

 

と、いまになって自分に問いかける。

どうやら答えは

 

必要とされたら断れない

 

という、

自分のタチの悪さが原因らしかった。

 

 

ではなぜ、断れないのか。

 

自分は価値のない人間だ

 

だなんて、信じ切ってしまっているようですよ。

いつかのピエロが耳元で囁いてくれた。

 

 

一番根っこにあるのは、きっと自信のなさ。

 

遠いところに夢や理想を置く、ということは

いまの自分にいつまでも満足できない、ということ。

 

能力や幸福は常に相対的だから、満たされなかった。

満たされないことが原動力となって、頑張れていた。

 

だけどそういう人間は、きっと脆い。

いまの自分自身に価値を見い出すのが、随分と下手くそで。

 

だから必要とされたくて、頑張って。

そんな自分を必要としてくれた人のために、全力で応えたくて。

でも応えの質が理想に追いつかないから、苦しんで。

自身が必要とすることは、どんどん後回しになっていって。

必要とされることばかりを、また頑張って。

 

そんな悪循環に飲み込まれていくほどに

自分の価値を認めて自信を持つ、だなんてことは

とても恐れ多くて。ずっとできないままで。

 

なけなしの自分自身を削って消耗する様は、

さながら、ジャムおじさんのいないアンパンマンの気分だった。

自分の顔をちぎって渡し続けるのに、欠けた自分の直し方はわからない。

 

 

そうするうちに、終いには、

自分自身を説得しながら、修復しながら進めないやつが

抱えてしまうという末期症状の代名詞、

乱れた自律神経とやらも総動員で攻め立ててくるから

 

頭痛と吐き気に悩まされるわ

夜中にふと泣き出してしまうわ

それを何百錠もの精神安定剤で誤魔化すわで。

 

朝、シャワーを浴びているときとか

昼、ランチで束の間の休息を得るときとか

夜、ふらふら帰途についているときとか

 

そんな毎日の一瞬に、

ある日の生き様がふと頭をよぎっては

「死にてー」とつぶやいてしまう毎日で。

 

 

12月の某日、満員電車に揺られながら

気がついたら「死にてー」だなんて、

普通に声に出してつぶやいていた。

 

さすがに焦った。笑

 

 

ああ、これはもう、

倒れるか。逃げるか。

 

 

そういうギリギリのところで、

倒れそうになりながら、なんとか

この年末休みに逃げ込んだのでした。

 

 

・・・と、

自分でここまで書いてあらためて思うけど。

 

 

マジでこういうやつ嫌い。

 

僕は、いまの僕が、嫌いみたい。

 

 

自分に自信が持てないことも。

自分を大切にしてあげられないことも。

 

どこか悲劇のヒロインぶってる生き様も。

そこさえ居場所にしようとしている女々しさも。

自分の可能性を捨てきれない執着も。

そうして積み上げてきたガラクタも。

いつか変わるだなんて、奇跡にすがる浅ましさも。

ぜんぶわかってて、なにも変えられない行動力も。

 

 

僕は、そんないまの僕が、嫌いみたい。

 

 

そんなんだから、当然、

恋愛も全然うまくいかなくて。

 

当たり前だよねえ、

相手が自分のことを好きになってくれても

僕が自分のことを嫌いなんだからだからさ。

同じものを好きになれないってことだから。

 

 

なので特段、生きている必要は感じないけど

それでも、死のう、と積極的に思わないのは

 

そんなに急いでこの世界を出ていく必要もないから。

だなんて、考える余裕さえない時に死ねばいいから。

 

ということでしか、正直ないのだけれど。

 

 

でも、このストッパーがあるからなのか、

 

キワッキワのところまでいくと

逆に超ポジティブ思考にもなるという思考癖が

どうやら僕にはあるようでして…謎

 

 

それで最近、思えたのは

 

 

僕は「死にてー」のではなく、どうやら

僕を「殺してー」なのだ、ということ。

 

 

もっというと

 

 

「いまの嫌な自分を殺してー」のであって、つまり

「早く好きな自分に生まれ変わりてー」なのでは?

 

 

だなんて、思えた日があった。

 

 

これまで、毎日毎週毎月毎年、

100万回は「死にてー」って言ってきた自信があるけど

そんな風に思えたことは初めてだった。不思議。

 

100万と1回目だったのかな。関係ないか。

 

 

でも、そんな風にして、自分に幾度となく救われてきた。

たくさん考えるのは、やっぱり死にたくないんだろうね。

 

 

しあわせに、なってみたいんだろうね。

 

 

 

だから、いまの僕に必要なのは

 

夢という目標を、計画に変えること。の前に、

計画に必要ないまを積み重ねること。の前に、

 

 

自分を好きになってあげること。

 

 

なんだと、自然に思えるようになった。

 

 

そうすれば

 

自分のことを大切にしてあげられるようになって、

自分が大切にしたい夢も大切にしてあげられるようになって、

そういう観点で過ごすことが夢と仕事を近づけていって、

夢のために必要なことがどんどん積み重なっていって、

 

…なんていう風に、

なれるのかな。なれるといいな。

 

こんなこと、気づくのに、

27年もかけてしまいました。

 

 

 

ということで、

残りの年末のお休みは

 

どうやったら自分のことを好きになれるのか?

そもそも自分はどんなヒト・モノ・コトが好きなのか?

どんな要素を足せるともっと自分を好きになれるのか?

 

なんてことを考える予定。

 

踏まえて、それを叶える計画もきちんと立ててみたい。

きっと、夢を叶える計画とも地続きになっているはずだから。

 

 

 

最後に、少し話は逸れるけど。

 

 

今年一番最近の仕事は、たまたま、

僕の夢と実に仲の良さそうな案件だった。

 

それだと明らかにわかるボールが、目の前を転がっていた。

あとは思いっきり、シュートを打つだけだった。

 

なのだけど、体力的精神的に力が残っていなくて。

その日までに積み重ねてこられたものが、少なすぎて。

 

僕の弱々しいシュートは、きっと、

あっさりキーパーに止められたのだと思う。

打ち抜ければ、次のチャンスがあったのかもしれない。

 

一度しかないチャンスを決めきれるほど、人間できてないよ。

だなんて言い訳する嫌な自分を、さっさとぶっ殺さなきゃね。

 

 

本当に、勉強になることばかりの仕事だった。

案件を通じて、自分の伸びしろがありありと見えた。

 

変わりたいと思ったし、変われると思った。

あとは、やるか、やらないか。

そのための計画も立てなきゃ。

 

 

やる前と、やった後で、何も変化がないなら、

それを「努力」とは呼ばないんだぜ。ってね。

 

今年があったから、来年があった。

って、自分に言わせてあげられるのは、自分だけだから。

そうやって、未来は過去を変えられるはずだから。

 

 

来年はがんばろう、がんばります。

 

 

 

おわり。